「安保の見える丘」

かなり以前に「安保の見える丘」に登って、嘉手納の米軍基地を覗いたことがあった。
嘉手納基地の周囲はコンクリートの塀で覆われていたけど、一箇所削り残された丘から中が見えるというので、軍基地反対の砦にもなっていた。
そこに行けば、説明して下さる人もいた。
ここから爆弾を搭載してベトナムに飛び立つ戦闘機を見送らなければならない無念さを語る女性に、同情した。
当時、何にも実感することもなかったナイチャーとしては、せめて想像力でベトナム戦争反対を必死で叫んでいた思いが今も残る。
久しぶりに思い出して出かけて行ったら、丘は草に覆われていたけど
その手前に4階建ての建物が建ち、展望所から、よりはっきりと見ることが出来た。
そのビルには道の駅が出来て、沖縄の物産品のお土産が並んでいた。
駐車場には観光バスやわナンバーがたくさん並び、一連の観光施設を見終えて、さらに飽き足らない人々が、もしくは日米の基地問題に関心がある人たちなんだろう、真剣に眺めていた。
多くの人が日米安保条約の現実を目にし、さらに日常的に関心を持つことはとってもうれしいことである。
でもでも、1960年死傷者も出した日米安保条約反対デモが思い出されるけど、今それから50年の節目にありながら、ちぃっとも声にならないのはいったいどうしたことなんだろう?。
みんながアメリカなしでは日本は自立できないと思っているんだろうか?その努力をしようとしないのかしらん。
外務省はじめ官僚はアメリカぞっこんの仕組みを作り上げて権力を持続しているので、そうそう手放すことはないらしい。
そこに大手メディアもかんでると天木直人氏はいつも怒っている。
日本国は離れた小島の沖縄に米軍基地と自衛隊を押し付けておけば、安泰か?。
いえ、米軍は沖縄を危険にさらすことはあっても日本を守ることは絶対ないのに、これはいったいどこの誰の利権なんだ?。

時々、共産党が日米同盟、日米安保は絶対だめだ!、見直すべきだと当たり前のことを言っているけど、今の日本では大きな声にはならない。
月刊誌「世界」の2月号を読まなくちゃ。