小沢一郎に感謝?

天木直人氏の配信メールより。

強制起訴後の法廷闘争は長期に及ぶとされる。
その間に小沢一郎の政治生命は終わる可能性が高い。
そしてそれを一番よく知っているのは小沢一郎自身に違いない。
すなわち小沢一郎は自らの政治生命と引き換えに正義の実現に挑戦していると私は思っている。

 我々は小沢一郎に感謝する日が来るかもしれない。そして検察・司法の不正義・不合理ほどそれを追及する事が難しいものはない。
なぜならば正義を実現するべき立場の者たちが不正義・不条理を重ねているからだ。

この、およそ不可能とも思われる事が、すなわち検察・司法の不正義
・不条理を追及し、彼らを処罰するという究極の「正義の実現」が達成
されるならば、これほど国民のためになることはない。快哉なことはない。
以上、「そうなんだ・・」と感動しながら、天木氏の文章を頂いた。
最近になって、たびたび裁判所を訪れる機会がある。
そのたんびにため息がでる。
裁判長の態度はいつも常識はずれで、少しも市民目線を理解しようとはせず、雲の上の人である。
以前から、最高裁にかかると、高裁の判決は覆され、何もかもが非人間的な判決が下されていたなー。
これは実に非近代的なことで、いつの日かこれが覆され、裁判所が、最高裁が、真に民主的な場になることを夢見ている。
この民主政権にこそ期待したのに・・。
小沢氏の改革に恐れをなした司法が小沢氏のいわれのない罪を画策して、政治生命を抹殺しようとしていることが良くわかる。
有能な政治家を、素人の検察審査会などと言うものを利用して無理やり起訴している状態に国民も注目しなければ、日本はいつまでも自立した民主主義の国にはなれない。