東ブータンの旅その四

タシガンの早朝は、犬の鳴き声と、人々のざわめきで目が覚めました。
信じられないほどの人人人です。
続々と山上の寺院まで人々の列が延々、延々、延々と続きます。
この静かな山間のどこに潜んでいたのだろうと思うくらいです。
山岳民族はヤクの毛で作った珍しい帽子に、鮮やかな服を着ています。そうとう遠くから歩いて来て、朝方寺院に行くために、町の中でみんなで寝ています。
何でも今日はお釈迦様の歯がインドから近くの寺院に三日間だけ来るんだそうで、年に一回あるかないかのにぎわいなのでした。
全員が3日のうちに交代でおまいりするので、各地の学校や寺院の施設はがらがらです。
村の人は一張羅(ガイドさんいわく)の女性はキラ、男性はゴで着飾って、すばらしい光景です。
私も近くによって、「クズザンボーラ(*^_^*)」と挨拶しては、じーっとキラを鑑賞しました。
カメラも写したけど、この混雑の中、相棒が掏られてしまいました。
だから目に焼きついているものだけが思い出です。(それもいいかも。その後、携帯電話のカメラで少し写すことが出来ました)
今回、東ブータンの旅は布の収集が趣味の人、カメラが趣味の人、深ーい田舎が好きな人などが参加しているようですが、
各地にある有名な寺院の観光がとても多く、チベット仏教の世界にしばし浸りました。

トップの僧侶以外は一生結婚できないお坊さんたち。
一度入門したら、僧を辞めることは地獄に落ちることだそうな。
以前は貧しい暮らしの中、食を求めて寺院に送られた子どももいたそうですが、
今では、子どもの意思が尊重されてきて、入門する子どもも少なくなっているらしいです。
五体倒置をし、マニ車を回し、人々は仏教に支えられてのどかで幸せそうに見えました。
けど、天国や地獄図をみても、私らはもうその教えにはなかなか共感はできないなー。
あらためて、解脱、他力本願・・意味のある言葉(五木寛之氏が言っていたような)が私の気持ちに甦ったのはいい体験でした。
でもブータンの人も全部が全部信心深いとは言えないようですねー。
何しろ殺生しない国なので川釣りは禁止だけど、モンガル村の愉快なおまわりさんに「大丈夫、明日釣りに行こう」と誘われたのでした(~_~メ)。
織物文化や宗教行事のグッズの保存など国営で専門技術の継承が奨励されているけど、この先はどうなるんでしょうー。
同じように、沖縄にも高度な染め織物文化が多くあるけれど、実用性に欠けるものは厳しいようです。
住環境はすばらしい自然に囲まれています。
とは言え、住民の80パーセントが農業に従事し、過酷な段々畑を耕しています。家族や地域の結びつきは当然強いことでしょう。
自給自足の農業、病院(遠いけど)や高等教育は無料、仏教教育の徹底、新聞ラジオの日常情報はない生活・・・孤独感など知らずにある意味、幸せに過ごせることだろうと思います。
自殺すれば以後500回も畜生に生まれ変わることになると教えているけれど、だから人は自殺しないとはなかなかならないと思います。
多くの人が同じような生活形態で、助け合って暮らさなければならない環境では、人の絆も深く、自殺率が低いことはうなずけます。
日本のマスコミがGNPに対してGNH、幸福度が高いと盛んに言っているけど、情報化社会と外国への留学が行なわれている昨今、このままであるはずはないでしょうねー。
普段は民族衣装の着用が義務付けられていて、素敵だなーと思うけど、若者はジーンズが好きだと言って、国境の町などでは普段にはいていました。


ゴやキラはほんとにかっこいいし、布が楽しめるのに、若者はえてして外国の物にあこがれるんよねー。
それに、キラはめったに洗濯はしないと聞いた。私も和服はブラッシングで埃(ほこり)を払うだけ。しっかり織られた紬は汚れを寄せ付けないんだけど、清潔好きの現代人には通用しないかな。
日本も・・和服離れをNHK朝ドラで見せてくれているー、私は悲しい気持ちで観ています、もう見たくないです。でもやはり見てみます(^_^;)。
山の村
山へ帰る人たち
休憩中